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息子の成長も、自分の未来も楽しみにしていた10年前
現在、支援級4年生の息子は10歳になりました。
10年前の私は作業療法士として働いていましたが、出産を機に退職。
息子が生まれたら、しばらくは育児に専念して、小学生になるころには仕事に復帰できたらいいなと思っていました。
自分で稼いだお金で好きなことをしたい。
旅行にも行きたい。
息子も連れて海外に行けたらいいな。
どんな習い事をさせようかな。
何が好きになるのかな。
将来、どんな仕事をするのかな。
子育てが一段落したら、夫といろいろな場所へ出かけたい。
息子の成長も、自分の未来も、楽しみに思い描いていました。

「一生サポートが必要」と言われ、息子の未来が決まったように感じた
生まれてすぐに夫の転勤で引っ越し、実家からも離れた場所での子育てが始まりました。
息子は想像以上にかわいく、私はお友達を作ってあげたい、いろいろな経験をさせたいという想いで、毎日のように子育て支援センターやイベントに出かけていました。
ですが、1歳になる前あたりから、周りの子との違いを感じるように。
周りの子は、言葉が出ていなくても、ママと笑い合ったり、うなずいたりしてコミュニケーションをとっていました。
それに比べて息子は、お友達には見向きもせず、おもちゃに夢中。
名前を呼んでも反応が薄く、言葉を理解しているのかもよくわかりませんでした。
そんな様子から、1歳になる前から「自閉症かもしれない」と疑ってはいました。
けれど、そうであってほしくなくて、
「目が合わない 自閉症じゃなかった」
「1歳 言葉が出ない 自閉症」
そんな言葉で検索しては、自閉症ではなかった事例ばかりを探していました。
1歳半健診では、言葉がゼロ。
指さしもできず、2歳まで様子を見ることになったのです。
けれど、私は様子見なんてできませんでした。
少しでも早く療育につながりたいと思い、相談先を探しながら、家でもできることを続けていました。
そして、ようやく児童発達支援センターへの入園が決まり、面談に行った時のことです。
センター長から、こう言われました。
「自閉症だね。
この子は一生サポートが必要だと思うよ。
だけど、サポートしてくれるところは色々あるからね」
きっと、優しさからの言葉だったのだと思います。
けれど当時の私には、
「この子はそれくらい重いんだ」
「一生サポートが必要なんだ」
「私と夫が、一生この子を支え続けなければいけないんだ」
そう聞こえました。
小学校でやっていけるのか。
友達はできるのか。
将来、働けるのか。
親元を離れて暮らせる日が来るのか。
考えれば考えるほど、不安ばかりが大きくなっていきました。
息子の未来だけでなく、私自身の未来まで、そこで止まってしまったように感じていました。
その後、幼稚園に通うようになっても、息子の言葉は2語文程度。
「何食べたい?」と聞いても、
「ナニタベタイ?」とオウム返し。
会話にならず、気持ちを言葉で伝えられない息子は、癇癪を起こすことも増えていきました。
このまま小学校に上がって、本当にやっていけるのだろうか…
そんな不安でいっぱいだった私は、息子を幼稚園や療育に預けている時間でさえ、自分が休むため、楽しむために時間を使うことができなくなっていました。

自閉症の息子を伸ばしたい。そして、私の人生も変えたいと思えた「おうち療育」
年長になり、いよいよ就学が近づいてきたころ。
息子の癇癪はピークになり、他害も出始め、私も限界でした。
毎日のように私は息子にイライラし、怒ってばかり。
「息子のことが心から可愛いと思えない…」
「もうママをやめて消えてしまいたい…」
何度もそう思いました。
そんな時に出会ったのが、発達科学コミュニケーションのおうち療育でした。
正直、その頃の私は、新しいことに挑戦する余裕なんてありませんでした。
けれど、夏休みに入り、息子が少し落ち着いていたタイミングだったこともあり、「やってみよう」と思えたのかもしれません。
個別相談で、今川ホルンさんが話してくださった言葉がありました。
「ママがやりたいことに夢中になるほど、自閉症の子の脳が育つ。そんな毎日を叶えたい」
その言葉を聞いた時、私は強く思いました。
私も、自分がやりたいことを思いっきりやれる人生を送りたい。
知的障害・自閉症のある娘さんを育てながら、楽しそうに働いているホルンさんの姿。
子どもの発達を諦めず、自分の人生も諦めていない姿。
その姿が、とても羨ましかったのです。
もちろん、息子の言葉を伸ばしたい気持ちもありました。
でも、それと同じくらい、私自身の人生を変えたい。
そう思っていたのだと思います。

おうち療育で息子の成長を感じ、私の毎日も変わり始めた
発達科学コミュニケーションを受講し始めて3か月。
すぐにすべてが変わったわけではありません。
けれど、1か月、2か月、3か月と続けるうちに、息子の反応は少しずつ変わっていきました。
まず、私が癇癪への対応を学んだことで、1ヶ月経つ頃には癇癪が落ち着き始めました。
そして、2か月、3か月後には、言葉も増えていったんです。
これまで「今日何食べたい?」と聞いても、「ナニタベタイ?」とオウム返しだった息子が、「唐揚げ!」と、自分で考えて答えてくれるように。
そして、「今日ブランコしたよ〜」と、幼稚園での出来事を教えてくれるようにもなり、会話が少しずつ成り立つようになっていったのです。
息子の成長を感じられるようになったことは、私にとって大きな希望でした。
そして、何より私の毎日も変わっていきました。
息子とやりとりがしやすくなったことで、伝わらないストレスから、親子で少しずつ解放されていきました。
幼稚園での過ごしも落ち着いてきたことで、私も自分の時間を楽しめるように。
そして、自分の人生を考えた時に、これまでの息子の育児を活かした仕事がしたいと思うようになったのです。
保育士の資格を取る勉強を始め、無事に資格をとることもできました。
息子の成長が、私の人生をもう一度動かすきっかけになったのです。

息子の未来も、私の人生も諦めなくていい
自分の人生を前向きに考えられるようになってきた私でしたが、息子が小学生になったからといって、すぐに外で自由に働けるようになったわけではありませんでした。
学童に預けることは難しく、放課後等デイサービスを利用することに。
けれど、週5日見てもらえる場所はなかなかなく、息子自身も週5日通うことを嫌がりました。
「小学生になったら、私も外で働けるかもしれない」
そう思っていた私にとって、現実は簡単ではありませんでした。
それでも私は、息子の生活リズムを大切にしながらできる働き方を探すようになり、今では、今川ホルンさんのもとでお仕事をさせてもらっています。
在宅で息子を伸ばしながら、発達の学びを深め、自分の強みを活かした仕事ができる環境に身を置けていることを、本当にありがたく思っています。
お仕事なのでもちろん大変なこともあります。
けれど、毎日とても充実しています。
また、今川ホルンさんのもとでは、毎月ことばの発達科学講義や、食いっぱぐれないプロジェクトとして障害のあるお子さんの就労を考える講義も行われています。
講義を聞いたり、自分自身で調べたりする中で、障害のある子の働き方や居場所にも、さまざまな選択肢があることを知りました。
2歳の時に「一生サポートが必要」と言われた息子の未来を、当時の私はもう決められた道をいくしかないと思っていました。
けれど今は、そうではなかったと思えます。
支援が必要なことと、未来が閉じていることは同じではありません。
息子は、おうちでの関わり方で少しずつ伸びていきました。
だからこそ自分の人生も、息子の人生も、諦めなくていい。
息子のやりたいこと。
私のやりたいこと。
ひとつずつ叶えていく人生を送りたいと思っています。

発達科学コミュニケーション
アンバサダー 東原あや







