今日は私が発コミュや療育の先生になるより
前のお話させてください。
娘の障害がわかったときも泣けない
くらい感情にふたをしていた話です。
私は、発コミュに出会う前は
音楽療法士と心理士でした。
新卒で務めた病院は緩和ケアでした。
毎週誰かが「がん」で亡くなっていく。
もう喋ることのできない人、今日旅たつ人、
時には息が止まったあとも、
人間の最期まで残る聴覚を信じて、
祈るようにピアノを弾いていました。
綺麗事だけではありません、
なんで私は死ぬのにあなたは生きるの?
怒りをぶつけられたことも何度もあります。
私は、いつしか感情にフタをするのが
上手になりました。
ですので、初めての妊娠中に
大好きな父がガンで亡くなった時も、
娘に小さな脳出血があり
発達が遅れると言われた時も、
3歳で自閉症・4歳で障害者手帳をもらい
「この子は一生障害者として生きていくんだ」
って思った時も泣けませんでした。
私は、今あるものだけを大事にしていく。
新しい人間関係も刺激もいらない。
ピアノを弾いて本を読んで書いて暮らせれば幸せ!
そう思っていたからです。
そんな私が、今発コミュの仲間と
180度違う未来をみています!!
昨日のメルマガで私の創りたい未来を書きました。
https://www.agentmail.jp/archive/mail/2617/8780/508888/
なんでぶっ飛んだ未来を描けるようになったか。
それはある人に出会ったからなのです^^
また続きはメルマガで書きますね!