4年前の夏に「自閉症スペクトラム障害」の診断をもらいました。眉子(長女)3歳7ヶ月。
運動発達(ハイハイ、お座り、歩くなど)の遅れと脳室拡大があったので生後7ヶ月から大学病院の発達神経科にお世話になっていました。
大学病院に3〜4ヶ月に1度いくたびに、教授の先生はいつも孫を見るような顔で「眉ちゃんの発達は亀さんです。ただゆっくりだけど確実に成長しています。」とおっしゃってくださっていました。診察ではもちろん色々と聞かれるけれど、先生が黙って眉子の動きをニコニコと見守る時間の方が圧倒的に長かったのです。明言を避けていると言えばそうかもしれないけれど、本当にその通り亀さんだけど確実に成長している眉子(長女)でした。
療育ママ友や先輩たちから「言葉が遅くても3歳までは診断せず、様子を見ましょう。と医師に言われることが多いんだよ。」と聞いておりましたので、3歳過ぎのすぐの診察ではついに今日は診断の話がくるか!?なーんて思っていましたがいつもの先生の診察でした。
3歳すぎて走れないとかジャンプできないとかは日常的な問題にはならなかったのですが、とにかくこだわりがひどくよく泣くことが夫婦の困りごとでした。季節が移ろい布団や長袖と半袖が変わることがどうしても許せず毎晩泣き、場所とものの位置が一致しないとパニックを起こしていました。
3歳児健診は保健師さんと相談し、5ヶ月遅らせて受けました。それでも二語文も出ていませんし、こだわりも強いし…。その日の保健師さんは「大学病院に行ってらっしゃいますから安心です。では!」という雰囲気で、あまり困っていることを話せなかったので、こだわりと療育のことを聞きたかったので児童相談員さんと面談をしていただくことになりました。別日で面談の時間を設けてくださり、やっとそこから「児童発達支援センター」や「障害者通所受給者証」の話になりました。
市との面談などを経て、こだわりや発達全般の遅れに関して「児童発達支援センターに通所してみよう!」となったのは3歳半過ぎでした。当時近隣に民間の児童発達支援事業所はなく市の運営する児童発達支援センターしかありませんでした。通所ですので週5回9〜14時にくることが一つ条件でした。当時保育園に眉子(長女)はお世話になっており、私もフルタイムで仕事をしていましたので、どうしよう!? とこれまた相談員さんに相談したところ、センターから週2回の利用でもOKをいただきました。
そこで、先ほどの「障害者通所受給者証」が必要になります。当時うちの市では診断書か療育手帳のコピーが必須ではないけれど望ましい風潮でした。
前置きがかなり長くなりましたが、いつもの大学病院の先生に診断書をお願いすることになったのです。その時の会話(回顧)です。
母:あの、療育センターに通いたくて診断書が必要なのですが、うちの子の診断名って…。
Dr.(教授):眉ちゃんにとってメリットがあるならば診断をつけます。例えばそれで療育に通えるとか、福祉サービスが受けられるとか。
母:療育センターでさらなる発達を促したいので診断欲しいです。
Dr.(教授):でしたら書きます。(PCで白紙の診断書を開きながら)お母さんは診断名どう考えますか?
母:自閉症スペクトラム障害と知的障害ですかね?
Dr(教授):そうですね。こだわりと言葉の遅れから「自閉症スペクトラム障害」の診断で書きますね。(その場でPCでパチパチと打つ先生)
まさか母に診断名を聞かれると思っていなくて驚きましたが、そこは臨床心理士としての見立ても話すことができたかな。実はこの教授の先生とは仕事でお会いしたことがあって、母が臨床心理士とご存知であったのです。
母と解離していないかをきちんと確認し、「本人にとってメリットがあるならば診断名をつける。」というスタンスに感激しました。
診断名をもらった私はというとすっきりしたのを覚えています。
自閉症の眉ちゃんではなく、眉子が成長の過程で自閉症と言われたという考え方がしっくりときています。
眉ちゃん、言葉が言えなくて伝わらなくてたくさん泣いて怒ったね。しんどかったよね。本当に些細なことに気づいて違いを教えたかったんだよね。
7歳の今も泣いたり怒ることもあるけれど、ママの言葉を受け入れたり、上手く言えなくても伝える手段をたくさん持っているよ。
あの時の診断が療育につながって眉ちゃんをいっぱい成長させることになったんだよ。
ママは眉ちゃんと先生に心から「ありがとう。」と思っているよ。
あとあの時寝不足で頑張ったママにも「ありがとう。未来にちゃんとつながったよ。」と言おうと思うよ。
ありがとう。必死だった毎日がいま力になっているよ。